コピルアックブロク画像

コピルアクの豆が割れる!? その3

2017.9.05

ところで、昨日のコピルアク精製工程の話の続きの前に一つ今日は昔ばなしから始めたいと思います。

まだ私が学生の頃、今からちょうど20年以上前の話です。冷夏により秋の収穫でコメ不足が発生し、しばらくはコメが手に入らなかったことがありました。

 

おぼろげながらの記憶ですが、通常は30度以上あった夏の気温が25度を超える日があまりなく、ひんやりとした涼しくてジメッとした気候でした。当時学生だった私は普段の生活に特に不便を感じることもなく過ごしていたのでありますが、おそらく当時海の家を経営していた方々などは涼しくて海で遊ぶお客さんもかなり少なかったはずで、相当の被害を被ったのではないかと思います。

 

さて、問題は夏の後のことです。ある時から急にコメが手に入らなくなりました。備蓄米という言葉もこのころ初めて聞くようになり、相当深刻なコメ不足であることは容易に肌で感じるようになります。政府はコメを不測の事態に備えて備蓄していたとは・・・・。

 

ありがたいと思っているのもつかの間、この備蓄米ももう本格的に底をつきいよいよスーパーの棚からコメがなくなり棚が空の状態になってしまいました。

 

「これは本格的にどうなるんだ??」と不安がっていたところ、タイ米とうるち米がかなり市場に出回ってきて、本格的なコメ不足はひとまず一息ついたわけであります。

 

ところがです。このタイ米とうるち米、あまりこういっては大変申し訳ないのですがあまりおいしくなく、ちょっと我慢しながら食べるという食卓が続きました。当時すでに「飽食の時代」と言われており、戦争時代を知っている親からは食べ物を「まずい」とコメントしようものならこっぴどく怒られたものですが、タイ米、うるち米を飲み込みながら一緒に「まずい」というコメントも飲み込んでいたのであります。

 

当時のテレビ番組、とくにワイドショーなどでは、「いかにタイ米をおいしく食べるか」というたぐいの番組ばかりが放映されていまして、タイの大使館勤務経験があるご婦人がテレビ画面の中で生き生きと「水を多めに、よく研いで、炊いた後にはチャーハンがよろしい!!」というような話をしていたのを、その晩彼女の料理をまねして自分でチャーハンを作ってみるもやはりおいしくないものは美味しくなく・・・・。

 

そんなこんなで、ごまかしながらお米を食べていたのですが、ついにそのあまりおいしくないタイ米もうるち米もスーパーから姿を消す日がやってまいりました。備蓄米が途切れた際にはすでにタイ米やうるち米が棚に細々と並んでいたおかげで、完全に棚が空になることはあまりなかったのですが、今度は本格的に棚が空。

 

私がきらいな知人の自慢で「オレは20キロのタイ米を手に入れたぜ!!」と聞けば嫉妬に狂いみんなで「どこで手に入れたんだ!?」と詰め寄り、「親父のコネさ」と言われればなすすべもなくしょげ返る。こんな光景があったのも記憶にあります。

 

ついにパン食か、当分は麺か・・・。

 

しばらく本当にパスタ乾麺、そばうどん、とパン食としばらく続いたのですが、ある時スーパーの棚を覗いてみるとなんとお米があるではありませんか!! たしか2キロで2000円くらいしたと記憶しておりますが、このお米は大変ありがたかったのをしみじみと感じたのであります。

 

これを皮切りにだんだんとコメがスーパーに出回るようになり、ようやく「コメ不足協奏曲」も終わりを告げるに至ったのであります。

 

ちなみにこのコメ不足はおよそ4半世紀前の出来事で、かなり遠い昔の出来事のように感じますが、豊かな日本にありながらもわれわれ日本人にとってたいそうな教訓を残した出来事であったと思います。

 

まず一つは、天候の前には人はなすすべもなく翻弄されるということです。当初私にとっては涼しい夏はただの冷夏にしか過ぎなかったのですが、数か月後からこの冷夏の影響はコメ不足という具体的な形になり私たちの生活に大きな負の影響を与えました。半年くらいでコメ不足は解消したと記憶していますが、今から考えればよく半年で済んだものだと思われます。

 

もう一つは「中国産」に関する教訓です。当時は、日中関係は今ほど悪くはなく領土の問題や歴史問題などもさほどテレビで取り上げられることもありませんでした。領海領空侵犯の話も皆無で、良好とは言えずとも悪いという感じではなかったと思います。私たちが中国産の商品を明らかに忌避し始めたのは餃子事件がきっかけです。しかしそれ以前も確かに中国産食品に対するイメージはあまりよろしくはなかったと思います。

 

ところで、この冷夏の影響によりタイ米、うるち米がなくなり、いよいよ本格的にコメが全く手に入らなくなった際、しばらくしてスーパーの棚に並んだ2キロ2000円のコメは実は中国産でした。

 

日本のコメと中国のコメ、その当時で味の見分けはつかず、久しぶりに食べたコメは非常においしいと感激しました。見ず知らずの中国にいるコメ農家の人に感謝の念さえ自然と沸き上がりました。

 

今では私も中国産の食品に対しては良いイメージは持っておりません。もちろん餃子事件のようなことは絶対にあってはならないことです。しかしながら危機的な状況下で回ってきたコメの中国に対する感謝の念は今でも私の心に残っているもの事実です。

 

今後同じようなケースが日本でも起こるでしょう。また、他国でも起こるかもしれません。その際のことは政治家を中心に平時の際にも常に議論しておくべき事項なのではないかと強く思うのであります。

 

今日はコピルアクとは話がだいぶそれましたが、次回はインドネシアの気候とコピルアク豆が割れる現象の関係をお話ししたいと思います。

 

コーヒー豆が取れるMuria山のふもとの水田です。

 

もともとこの地域の産業はコメであります。コメつくりの間にコーヒーづくりをするという、日本では全くなじみのない光景です。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki