コピルアックブロク画像

コピルアク味のインパクト2

2013.9.16

早速ですが、昨日のコピルアクの味と品質に関する続きをブログに書いてまいりたいと思います。

 

前回コピルアクの味を表現する際に名古屋で美味しいきしめんを引き合いで用いたところ、友人から「どこのきしめん店?」というメールがありました。このきしめん店は地下鉄の上社駅から徒歩30分ほどのところにあります「すず屋」というお店です。星ヶ丘駅でもOKですが、どちらの駅からでも歩いてゆくにはかなり距離があり、おそらく車でないと難しいかと思います。

 

しかもあまり大きなお店ではなく、場所もわかりづらい為見つけるのは容易ではありません。それでも私が今までの人生で食べたことのある麺という麺類の中ではおそらく3本指に入るほどの美味しさです。

 

今ブログを書きながら猛烈にすず屋に行きたくなりました・・・・。

 

さて、コピルアクの話に戻ります。味のインパクトについて思うことが一つあります。それは今から250年以上前、オランダがインドネシアを統治していた時代にコピルアクは生まれたわけですが、この時代のインドネシアのコーヒーの味はいったいどんな味だったのだろう? そして初めてコピルアクを口にしたオランダ人はいったいどんな驚き様だったか?ということです。

 

インドネシアのコーヒー農家の作業風景を見ておりますと、コーヒーの収穫シーズンは主にレッドチェリーを収穫しているのですが、シーズン以外はコーヒーの木の接ぎ木をしています。

 

接ぎ木というのは、その名の通り今生えている枝を切断し別の木から枝を持ってきてそれを継ぎ合わせる作業なのですが、枝と枝を固くひもで縛るだけのかなり強引な作業になります。

 

これを行う意味は、良い木に生えている枝で、枯れそうなものや育ちの良くないものを切断し、他の木から優良な枝を切り取って良い木に取り付けるのですが、これをやることによりその木に成るコーヒーのレッドチェリーは良いものが多くなるそうです。

 

これは今に始まった作業ではなく、もうずっと以前から行われていたもので味の良いコーヒーを作り続けるためには欠かせない作業になります。つまり、オランダ統治下でインドネシアに持ち込まれたコーヒーというのは幾世代もの接ぎ木による配合を重ね、少しずつではありますが良品化されてきたと言えるでしょう。

 

また、コーヒーの木の根元には農家は肥料を与えているのですが、これも良品のコーヒーの生産には欠かすことが出来ない手入れになります。

 

つまり当時のインドネシアのコーヒーと現在のコーヒーを比較すると、味は現在のほうが洗練されていると言ってもおそらく良いのではないかと思うのであります。そんな大昔の人がコピルアクを飲んだら・・・・・??

 

と想像すると、すこし可笑しくなるのであります。と申しますのも前回私が何も知らず、いたずらで知人からそれと知らずにコピルアクを飲んで「びっくりした」と記載しましたが、大昔のまだ今ほど洗練されていないコーヒーを飲み慣れていた在インドネシアのオランダ人がジャコウネコのフンから採取されたコピルアクを飲んだ時の驚き様はいかばかりか!!

 

と想像してしまうのであります。

 

コピルアクの精製所があるPatiの近郊にもオランダ統治時代から続く砂糖キビの精製工場があります。インドネシアでプランテーションと言えばコーヒーと砂糖がすぐに思い浮かびます。またPatiから一番近い都市はSemarangですが、この都市にもインドネシアにはあまり似つかわしくない、いかめしい洋館がいくつか点在しております。

 

コピルアクもまたオランダがインドネシアに残した爪痕の一つではありませんが、ある一人の日本人に驚きを与え、その日本人が日本でこれをビジネスにしていると考えると、何か不思議な感じがしてまいります。

 

そろそろインドネシアではコーヒーの収穫シーズンが終わり、10月になれば農家ではコーヒーの木の接ぎ木作業を始めるでしょう。ちょうど同じころ、我々もジャコウネコのフンを精製し日本に輸入する準備を始めます。

 

Patiの郊外には至る所にサトウキビ畑があります。収穫期は5月くらいなのですが、1年かけて3メートルくらいに丈が伸び、収穫期はサトウキビ精製工場へ行くサトウキビが満載されたトラックで渋滞が至る所で発生します。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki