コピルアックブロク画像

コピルアック ムリア山のアラビカ

2013.3.12

弊社のコピルアック精製所があるPati特産のコモディティーというのは、実はキャッサバやピーナツといった穀物類だけではなく、塩と砂糖もジャワ島の一大供給地としての位置を占めています。

 

まず塩ですが、近くにJuwana(ジュワナ)という漁港があり、この近辺の海水を塩田に引き入れて塩の精製をしています。このJuwanaから東西に伸びるジャワ海の海岸沿線にはかなりの数の塩田が存在しています。

 

雨季は塩の乾燥が出来ないため一部の塩田は魚の養殖場に変わるのです。

 

 

この写真、私の後ろにある池はJuwana近郊の塩田兼魚の養殖場です。現在は雨季のためBandeng(ミルクフィッシュ)の養殖をしています。ちなみにこの魚を利用して作られたBandeng Prestoというのは中部ジャワのご当地グルメでほとんどがJuwanaからSemarangなどの都市に出荷されています。

 

さて一方、砂糖ですがPatiの郊外では広大なサトウキビ畑を見ることが出来ます。しかもこういったサトウキビ畑がいくつも存在するのです。収穫期は4~5月の約2ヶ月ですが、この間に刈り取りのための作業員が大量にサトウキビ畑に投入され、一日中刈り取りとトラックへの積み込みが行われます。

 

積み込まれたサトウキビはPatiの砂糖精製工場に持ち込まれ、砂糖となるわけなのですがあれだけ大量のサトウキビを処理するため工場自体も巨大で、さらにいくつかの巨大工場と中小の精製工場が存在します。

 

ところがこういった工場というのは最近出来たものではなく、オランダ統治時代にオランダが強制栽培、本国への輸出政策の一環として砂糖精製が行われていた当時から引き継がれたものになります。

 

今でこそPatiの主要コモディティーとして市民の雇用の一翼を担うこの一連のサトウキビ&精製ビジネスですが、オランダ統治時代のインドネシア人にとっては彼らを苦しめる強制労働の現場でしかありませんでした。

 

たまにこの巨大工場の前を通りかかることがあるのですが、しばしば相棒のイカサンは忌々しげに言います「この工場は今でこそオーナーはインドネシア人だけれども、じつは昔オランダが建てたものでね・・・・・」と。

 

中部ジャワの州都Semarangに行きますと、このようなオランダ統治時代の名残というのは随所に見ることが出来ます。中心街にある官庁、郵便局などは見た目は明らかに洋風の建物で、これもイカサンから言わせると気分のいいものではないようです。

 

さて、話をムリア山のアラビカに戻したいと思います。

 

Keletからさらに山へ登ってゆくといくつかの村が現れます。ほとんどの家ががけに面して立てられており、Keletにある村々ともまた違った雰囲気を感じ取ることが出来ます。

 

この村の人々がコーヒーを栽培しているのですが、彼らの本業というのは実は農業です。Kelet近郊にはこういった村々がいくつかあり、アラビカ種のコーヒーを生産しています。

 

ところが、Pati側の山にあるJollongなどのロブスタを生産する村との最大の違いは、ロブスタ種を生産する農家というのは本業がコーヒー農家で、副業として牛の飼育や出稼ぎなど、別の収入源を持っているということです。

 

ところがアラビカ種を生産するコーヒー農家というのは主な収入源は稲作で、コーヒーが副業という位置づけになります。もちろんアラビカ種の生産をしているのは自分たちの意思ではなく、オランダがこの地域にアラビカを持ち込み、それから代々引き継がれてきたものになります。

 

ところが「副業でコーヒーの栽培を行っている」という事実がこの地区のアラビカコーヒーに思わぬを結果を与えています。

 

次回もう少しこの話を続けたいと思います。

 

 

水田をバックにキメているのが私です。格好をつけている割にはぬかるみに足をとられないよう、下半身をがちがちに固めているのであります!!

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki