コピルアックブロク画像

コピルアク ムリア山とコーヒーの歴史

2013.3.11

今朝は晴天のため洗濯物を干した直後、にわかに雨雲が出てきて一気に大雨が降りました。弊社コピルアックの精製所があるPatiの雨季の天気というのは大体このこのような感じで、急に大雨が降りすぐに止む、を1日に何度か繰り返します。

 

一方、Patiのようなムリア山のふもとにある街と山の村の天気というのはかなり違います。例えばPatiでは晴れと雨を繰り返していても、山の中にある養猫場のKeletではずっと雨ということはしばしばあります。

 

Keletでは昨日今日と雨が続いているため、コピルアックの乾燥工程の一部をPatiで急遽行うことになりました。現在Keletからコピルアック豆を車で運んでいる最中なのであります。

 

 

Keletは今日も雨だった・・・・。

 

 

さて、昨日はPatiにあるJollong(ジョロン)の話をいたしました。ジャワ島のロブスタ種栽培では名の知れたムリア山南東側の地域で、Patiから山に入ります。

 

実はコーヒーの収穫時期から外れた10月頃にJollongのコーヒー農家にお邪魔したことがあります。この時期のコーヒー農家の仕事は牛の世話、出稼ぎなどで、基本的にコーヒーにまつわる仕事は無いだろうと思っていました。

 

ところが兼業農家とはいえ、この時期のJollongは来年の収穫期に備えてコーヒーの木の手入れに余念がありません。

 

まずはコーヒーの木の下に肥料を撒きます。またコーヒーの木はアリが対敵だそうで、ありを寄せ付けないための農薬を散布します。

 

また、さらに重要な作業は「接ぎ木」です。今回はJollongに行く時間が無く写真を撮ることが出来なかったのですが、コーヒーの木を見てみると、不自然に枝が折られ、別の枝が接ぎ木されているのがわかります。

 

どうやら良いコーヒーをつくるためには欠かせない作業らしく、古い木にあたらいい木の枝を取ってきて接ぎ木しているとのことでした。

 

つまり、コーヒーの収穫時期から外れた閑散期であってもコーヒーにまつわる仕事は結構多く、いわば「かなりの手間隙をかけて」ロブスタが栽培されているわけです。

 

これはもちろんJollongはインドネシアでは需要の高いロブスタの供給を担っているため、手間隙をかけて良いコーヒーを作ろうとしているのであります。もちろんJollongだけではなく他の地域のロブスタ栽培をしているインドネシアのコーヒー農家の多くはそうだと思います。

 

さて同じムリア山でもJollongではロブスタを生産している一方、アラビカ種を生産している地域もあります。例えば弊社がフンつき豆を購入しているKelet近隣の地区です。

 

Keletという地区はJepara県に属します。Patiと同じムリア山のふもとに位置するこのJeparaはジャワ海に面する都市で、16世紀ポルトガルがインドネシアに侵攻してきた際の最前線の防衛基地があったことで有名です。海に面するがけの上には当時ポルトガルとの戦争で使用された大砲が今も残っています。

 

ご存知の通りインドネシアのコーヒーというのはポルトガルの侵攻後にインドネシアを植民地化したオランダが持ち込んだコモディティーです。オランダ人がインドネシア人に栽培をさせ、収穫されたほぼ全てのコーヒー豆はオランダに送られオランダからヨーロッパ諸国に販売されていました。

 

当時オランダが持ち込んだコーヒー種はアラビカ、ロブスタ両種あったようですが、Kelet近隣の地域ではアラビカが栽培されていました。今から200年以上前の話になります。

 

ところでこのオランダのコーヒーの強制栽培、当時のインドネシアにとっては百害あって一利なしでした。その最大の理由は何かというと、「コーヒー以外の作物を作ることを禁止した」ということです。これはコーヒーだけではなくサトウキビにも当てはまります。

 

コーヒーやサトウキビというのは輸出のみに使用され、当時の国内で需要はほとんどありません。ところがオランダは自国が獲得する利益のみを考えたため、米や野菜などが栽培されていた土地をサトウキビやコーヒー畑に変えてしまったのであります。

 

つまり国内に供給されるべき食料が大幅に不足したため飢饉が発生してしまい、多くのインドネシア人が犠牲になったといいます。

 

次回も引き続きムリア山のコーヒーの歴史について記載いたします。

 

 

Patiでのコピルアック・パーチメントの乾燥です。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki