コピルアックブロク画像

コピルアック(コピルアク) Panjunanの政権交代

2012.12.21

人生で最初に見た映画は「キングコング」でした。あらすじは記憶のかなたにありますが、しばらくは現実とフィクションの区別がつかなくなったのを覚えています。「キングコングがいつか襲ってくるのではないか・・・・」。小学生に満たない少年がしばらくはそんな妄想にとらわれていました。

 

いずれにしても映画というもはたいそう面白く、昔から今に至るまで私の大好きな娯楽の一つになっています。アクション、ホラー、ロマンス・・・どのジャンルにも素晴らしい名作は存在しますが、「アメリカの映画」が私に与えた影響は少なくないでしょう。

 

多くのアメリカ映画が私に感動を与えてくれました。「スタンドバイミー」、「フィールド・オブ・ドリームズ」、「ウォール街」・・・・。数えればきりがありませんが、私の心を大きく動かした映画の一つに女優デミ・ムーア主演のG.I.ジェーンという映画があります。

 

もともとは「女性差別撤廃」という名目で軍に入隊したデミ・ムーア。いわばお飾りです。軍隊の仲間たちは最初彼女を特別扱い、味噌っかす扱いしていたのですが、様々な苦難に立ち向かう彼女の頑張りと強靭な精神力は同僚たちの心を打ちます。そして最終的に彼らはデミ・ムーアを仲間と認め「マスター・チーフ」と呼び、信頼の絆で結ばれる感動のストーリであります。

 

“マスター・チーフ”・・・・。素晴らしい響きです。デミ・ムーアには仲間からそう呼ばれるにふさわしい威厳と誇りがありました。

 

そして私もPanjunan村で“マスター・チーフ”と呼ばれるはずでした。あの新米のマダムが来るまでは・・・・。私が必死で組み立てたコピルアックの洗浄工程が彼女によって覆されるまでは・・・・。

 

さて、昨日の話の続きです。

 

“Mau coba(試してみようじゃありませんか)”とはいったものの、予想通り彼女の提案した洗浄工程は抜群の効率性を発揮しました。そしてcoba(試す)だけのはずだったその工程はもう本工程としてそのまま定着したのでした。

 

そのため7人いた洗浄工程は5人でこなすことが出来、あとの2人は乾燥工程を担当することになりました。そのうちの一人は当然私です。はじき飛ばされたといったほうがよいかもしれません。

 

デミ・ムーアが持つ威厳と誇りは私には全くありませんでした。マスター・チーフの地位はわずか30分で彼女にとって替わられたのです。いくら歯ぎしりしてももう元に戻ることはありません。Panjunanに年功序列はなく、あるのは冷徹な実力主義だけでした。

 

私はといえば、乾燥工程をやりつつも人員が足りない際は洗浄工程も同時に担当し、彼女に「チト水が汚れてきたから蛇口ひねってきてよ」といわれれば、“Ngeh”(ンゲヘ=ジャワ語で「かしこまりました」の意味。目上の人に使うもっとも高いレベルの尊敬語)と申し上げ、Kamar Kecil(カマール・クチル=洗面所)に走るという、いわば彼女の手下として暗躍する役目になり下がったのであります。まさに彼女は私にとって“マスター・チーフ”。

 

このチーフ・マダム結局はどういう人だったかというのは後々お話ししたいと思いますが、最終的に彼女はこの製造工程の要になります。おそらく誰も彼女の真似は出来ないでしょう。彼女をスカウトした相棒のイカサンと製造主任のギアントには感謝をしております。

 

しかし、このチーフ・マダムは気性が荒く、すぐに怒るのです。以前この章でもお話ししたWarungのマダムのように、中部ジャワの女性というのは優しい反面短気で怒りっぽい性格なのかもしれません。特に異邦人には・・・・。

 

また、彼女も多くの女性と同じくイスラム教徒なのですが、こちらでもお話しした通り汚れた豆を市場に流出させるとそれはHaram(イスラム教で“許されない”という意味)になってしまうので洗浄の工程に関しては特に厳しいのです。

 

例えばコピルアックの洗浄工程の中には「上に浮いた豆をすくい取る」という工程があります。この工程は手先が不器用な私にとっては非常に難しく、なかなか上の豆だけを取るということが出来ないのであります。

 

彼女は異教徒の私がいい加減なことをしていないかと、監視の目を緩めることはありません。そのため少しでも上に浮いた豆以外の豆を取ると厳しい叱責が飛んできます。

 

“Atas Atas Saja!!(上だけだって言ってんだろ!!)”と。

 

このアタス・アタス・サジャ!!、を言われると25年前の中学生だったあの日の出来事を思い出すのであります。

 

居残り勉強の後、運悪く廊下で出くわしたスケ番に言われた「オイって言ってんだろ!!!!」を・・・・。

 

私にとってPanjunanは25年前の日本と現代のインドネシアが交錯する不思議な空間。

 

“Atas Atas Saja!!”と「オイっていてんだろ!!!!」が耳にこだまする村。

 

25年前に私が廊下で落としたのはポケットに入れた鍵でした。そして今Panjunanで見つけたのはポケットにはしまうことのできない大切な仲間たちでした。

 

もうインドネシアでは乾季が始まっていました。

 

 

 

こちらは乾燥工程の写真です。乾燥ムラを防ぐため、こまめに生豆を動かす必要があります。

 

Samai Jumpa Lagi,

Koki