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コピルアック(コピルアク) おいしいコーヒーと宗教問題 後編

2012.12.10

ここ数日快晴が続いておりますが、12月16日の衆議院総選挙へ向けて街宣カーでの選挙活動が一層盛んになって参りました。

 

いつの頃からか各政党はマニフェストを作成し、「与党になった暁にはこういった公約を実現します」というような文言で選挙民に政策を訴えるようになりました。つまり選挙民がある政党に票を入れるということは、その政党のマニフェストに賛同したことと基本的には同意義になるかと思います。

 

仮にある政党が政権を担う場合、その政党はマニフェスト通りの政策を実施する義務が生じます。これは有権者と政党との間の契約といっていいかもしれません。昔の選挙はこういった、「有権者と政治家との間の契約」という概念があまりなかった為、何となく人気がある候補者に投票する人も多かったのではないでしょうか。

 

この契約という概念、いろいろな場面で出てまいります。もちろん仕事上の契約も然りです。「労働の対価に対し、賃金を払う」、「製品やサービスに対して、費用を払う」。そしてこういった契約というものは宗教でも重要な役割を果たしていると思われます。

 

例えば教会での結婚式の際に神父さんが「あなたは○○を誓いますか?」と新郎、もしくは新婦に問う場面があります。何となく儀式的に見えるこの言葉ですが、内容は「神との契約」を言葉にしていることになります。つまり誓うとは「神」と○○を誓うという意味になり、神と自分の間で契約が発生したわけです。

 

この神との契約という概念、もちろんイスラム教徒にも当てはまることです。イスラム教徒には厳しい戒律を守ることが義務付けられています。「豚肉を食べてはいけない」「酒を飲んではダメ」「断食月には断食をする」「お祈りは1日5回行う」。こういった教義というものは神との契約に該当するもので、これらを怠るということはすなわち神と交わした約束を破ることになります。

 

インドネシア人の人口のかなり多くがイスラム教徒です。しかし、仏教徒の私に彼らがイスラム教に入信するよう勧めることはありません。それはなぜか?つまり彼らにとってイスラム教とは全ては神と自分との契約であり、異教徒がどんな神を信じようと彼らには関係のないことだからです。

 

さて、先般のコピルアックを欧州へ輸出する案件の続きです。

 

有難いことに欧州のある企業からコピルアックの購入を検討しているという話がありました。ところが彼らの条件は「フンを洗浄する前の状態での供給」でした。彼らの言い分は良くわかります。生豆にしてしまうと本物かどうか、見分けがつかなくなるのです。

 

しかし、私がフン付の状態で豆を出荷することはあまりしたくないと考えていました。我々、LJAグループは確かに貿易会社であり他国との貿易を生業にしておりますが、コピルアックのビジネスに関しては精製のプロセスを行う製造業者に当たります。

 

そのためただ単にKeletからフン付豆を購入し、出荷するだけのビジネスはあまりやりたくなかったのです。ただ輸出するだけのビジネスであれば、ライセンスがあればLJA以外でもこのビジネスを行うことが出来ます。つまり、買い付けのお手伝いだけになってしまうのです。

 

また、検疫も心配ごとの一つでした。インドネシアからコーヒー生豆を出荷する際には検疫を通す必要があります。しかし、フン付豆であれば検疫は通らないでしょう。

 

相棒のイカサンと製造主任のギアントとこの案件について協議をしたところ、私の意見は上記のようなものでした。ところが彼らは、フン付豆は出荷しないという意見は私と同じものでしたが、その意見に至るプロセスは違うものでした。ビジネスとしてではなく宗教的な問題があり、フン付豆は出荷できないというものです。

 

LJAが精製を行っているPanjunan村でこの精製に携わっている人々は全てイスラム教徒です。以前この章でフン付豆を生豆にするプロセスについて解説いたしました。彼らはとても一生懸命豆を洗います。私が洗浄の工程に入り豆を洗っていると、チーフマダム(いずれ詳細を記載します)の厳しい監視が入ります。日本人が手を抜いて豆をいい加減に洗ってはいないかと・・・・。

 

彼らがここまで一生懸命に豆を洗う理由というのは、仮に豆が汚れていた状態のまま市場に出荷してしまうと、これはイスラム教の教義に反することになるからです。これをイスラム教の用語ではHaram(ハラム=禁止された)といいます。

 

イスラム教というのは清潔さを教徒に求めます。そのため彼らは手洗いを始め、整理整頓、衣類の洗濯などかなり身辺をきれいにしております。

 

それは当然食品に関しても言えることで、フンがついた豆を提供する、あってはならないのです。もちろんKeletの養猫業者が我々にフン付豆を提供するのは我々がきちんと洗浄するというのが大前提です。イスラム教徒からしてみれば汚れたコーヒー豆を誰かが焙煎して飲んだというのは許されないのであります。たとえそれが異教徒向けであったとしても、それを商品として販売するのは彼らとしては出来ないことなのです。

 

イカサンとギアントの言うことは理解できました。

 

残念ながらヨーロッパにはフン付豆を出荷できない旨を説明し、この案件はなくなってしまったのであります。

 

その晩珍しくPatiのコンビニでビールを買いました。私自身酒に弱い体質な為、めったにアルコールは飲まないのですが、案件がなくなってしまったためヤケ酒のつもりだったのです。

 

Kangkung(カンクン)を炒めビールをすすりながらイカサンやギアント、そしていつも私に厳しいチーフマダムのことを考えました。「彼らはそういう風に考えるのだな・・・・」と。失注した悔しさと、妙な納得感が混在していました。さっきまで流れていたアザーンの余韻がまだ耳に残っていました。雨季の初めの出来事でした。

Kecap Manis(ケチャップマニス=インドネシアの甘辛調味料)でKangkungの味付けをしてみました。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki