コピルアックブロク画像

コピルアック(コピルアク) おいしいコーヒーと麻袋2

2012.11.14

銀座の中央通りに大型の観光バスが止まり、中から中国人観光客が大勢降りてきて街中に消えてゆく光景は、以前には見ることのないものでした。

 

国が豊かになり、海外へ観光に出る余裕のある人が増えたのでしょう。昔の中国を知っている人の話では、今の中国に昔の中国の面影は全くないといいます。それほどビルやインフラが整い、人々の生活も豊かになったようです。

 

LJAインドネシアにも、中国からのコピルアックの引き合いがしばしば参ります。インドネシア人でコピルアックのビジネスに古くから携わっている人の話では、中国からの引き合いというのは昔からあったのですが、件数は格段にここ数年で増えたとのこと。

 

コピルアックは高価なコーヒーです。やはり中国人の生活が、以前とは比較にならないほど豊かになってきている証拠なのでしょう。

 

実は、銀座の中国人団体客の観光バスの風景を見てふと頭をよぎったのは、バブル期の日本人でした。

 

ちょうどバブル期の1980年代後半は、私はまだ学生だったのですが、多少は日本経済の華やかな時代を肌身で感じておりました。今の時代から比べると信じられないようなことがまかり通っていたと思います。

 

もちろんその中には、素晴らしいこともありました。日本は超1流の経済国と世界で見なされていたのも、おそらくこの時期だけでしょう。インフラの整備も進み、明らかに生活は良くなって参りました。

 

ところが、マイナスの面も確実にありました。拝金主義の人が増え、金に任せて物事を解決する日本式のやり方が世界でバッシングを浴びていました。土地、建物、ブランドを日本人は海外に出て買いあさり、相当欧米諸国からひんしゅくを買っていたのを覚えています。

 

例えば、ヨーロッパの観光地にある某ブランド品の店では、「日本人お断り」という店もあったようです。

 

いくら金持ちだからといっても、異文化を受け入れる体制というのは、すぐに出来るものではありません。むしろ「拒否」から入るはずです。仮に私の住む町で外国人が自国の悪習を持ち込み、街の風紀を乱す行いをしたら、私は彼らを受け入れることは出来ないでしょう。

 

私がインドネシアにいる際に常々考えるのはこのことです。インドネシア人にとって私は外国人になりますので、彼らの文化、風習を尊重する必要があります。

 

昨日のGoni事件も少しこの話と関係してまいります。

 

初老の男性が私を訪ねてきた際、大家のお祖母さんが彼を案内しました。つまり、彼女は彼の姿、顔を覚えているわけです。ところが、仮に夜暗くなってから、誰かが私の家を前もって私に連絡することなしに訪れて、家をノックしたとしても、私は絶対にドアを開けないでしょう。

 

例え彼らが役人や警官の制服を着ていたとしてもです。いずれにしても居留守を使うでしょう。

 

私がPatiの人々からどのような目で見られているのか、正直なところわかりません。自分では目立たず、騒がずを心がけ、近隣住民とも平和にやっているつもりです。

 

ところが、私が日本人というだけで金持ちと思われ、誘拐されてもおかしくないわけです。また、Patiのような田舎にも戦時中日本軍が駐留していました。知り合いの父親は日本兵に逆らいひどい目にあったと聞いています。日本人に対して悪い感情を持った住民もいる可能性もあります。

 

正直なところ、この初老の男性が誰だかわからない少しの間、嫌な感じでした。何かトラブルになるようなことをしたかな?と。

 

Goni(麻袋)を探している間、訪ね歩いた店の人々には、コピルアックの話は一切しなかったのですが、それでも誰かが、日本人がコピルアックのビジネスをPatiでしているということを聞きつけたとしたら、よからぬことを考える輩がいないとは限らないのです。

 

外国へ旅行をする、もしくは暮らすというのは刺激的で素晴らしい体験です。しかし、気を付けなければいけなことは多々あるのだなと思います。

 

私がインドネシアで安全に仕事が出来るのも、相棒のイカサンや主任のギアント、またその家族やPanjunan村の人々のおかげだと、いつも思っています。彼らに迷惑をかけない為にも、これからも安全には気を付けていきたいと思います。

 

                       

いつもは私に対して厳しく当たる大家のお祖母さんですが、たまに夕食をご馳走してくれます。写真は彼女から頂いたSop Tempe(テンペスープ)です。最高の味です。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki