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ジャワとスマトラのコピルアック その2

2014.10.05

中学生の時に初めて社会科の授業の中で世界史という科目が出てきたと思うのですが、映画やドラマなどでことあるごとに「世界」に触れていたので授業自体がどのようなものだったのかは全く記憶にありません。

 

いつの頃からか、日本を出て世界を見たいと思うようになったのですが、私に大きな影響を与えたのはおそらく「兼高かおる世界の旅」です。毎週日曜日の朝のこの番組が大好きでテレビにかじりついていたのを良く覚えています。

 

兼高さんのレポートの特徴はとにかく明るいことです。その場所にどんなに陰鬱な歴史があろうともあの甲高い調子のレポートは番組自体を暗くすることは有りませんでした。

 

ところがです。今からよく考えてみると世界の歴史には本当に人類の汚点のような出来事、習わしもあり、我々のご先祖というのは残酷極まりないことも平気で行うのだなと、身の毛もよだつような暗黒の地域、時代もありました。

 

例えば私に強烈な印象を与えたテレビ番組があります。「クンタ・キンテ」です。今Wikipediaを見てみますと、このドラマが日本で放映されたのが1977年。私がまだ小学校に上がる前のことです。詳細の内容はあまり記憶にないのですが、とにかく恐ろしかったという記憶だけは今でも脳の引き出しの中にしまわれています。

 

さて、このドラマは黒人奴隷がアメリカに連れてこられる歴史をつづった物語でしたが、このような西洋中心の理不尽な政策は18世紀の世界各地で行われていました。大航海時代というのは確かに中世の扉を開け、近世の始まりを告げたと言ってもいいのでしょうが、被征服地の住民からすれば受難の歴史の始まりに他なりません。

 

例えばアジアもアフリカや中南米と同じく悲惨な歴史を数百年味わうことになります。その一つが新興国であるオランダの植民地となったインドネシアです。オランダは巧みに支配階級、被支配階級を分割し部族同士を戦わせ彼らを疲弊させたうえでインドネシア支配を強めてゆきます。

 

統治はオランダ東インド会社が行い、利益は本国へ株の配当金として還元されます。ここでの利益とはつまり貿易での収益なのですが、主な貿易品目は砂糖、香辛料、木材そしてコーヒーでした。香辛料を求めて欧州列強諸国が東南アジアに触手を伸ばしていたのは有名な話ですが、コーヒーも当時のヨーロッパではかなりの需要があったようで、儲けのアイテムとしてはオランダになくてはならないものでした。

 

つまりコーヒーを本国に持ち帰れば簡単に売りさばける為、オランダは当初インドネシアにおけるコーヒーの強制栽培には大変な労力を払ったとのことです。もちろんその犠牲になったのは現地人。強制栽培とはつまり他の作物の栽培をやめ、商品作物を作らされるということになりますが、コーヒー栽培の代償となったのは米作でした。

 

インドネシア人の主食は日本人と同じコメですが、彼らは水田をつぶしコーヒーの木を植林したのです。そうすると何が起こるかというと、コメが不足する事態が発生します。仮に天候不順でコメの出来が悪ければ飢饉が起こりますし、実際に飢饉が起こり何百万人の餓死者が出たと言われています。

 

また、コーヒーというのは商品作物の為現地人が口に入れることは許されず、口に入れたら死刑という厳しい処罰が待っていました。そのようなインドネシア人を犠牲にして成り立ったコーヒー貿易はオランダをたいそう儲けさせたのであります。

 

さて、第二次世界大戦が終わりオランダはインドネシアを去りましたが、コーヒーは残りました。このコーヒーはその後インドネシアの貴重な商品作物として活躍するのですが、商品のレベルを上げるために品種改良が繰り返し行われるようになり、今でもそれは続いています。

 

たとえば先般のブログに記載したような接ぎ木です。強い幹に良質なコーヒーがなる枝を繋げて次世代のコーヒーをよりレベルの高いものにするための作業です。コーヒーの専業農家であればこの作業は欠かさず行われています。実際に弊社の拠点があります中部ジャワのPatiに一番近いコーヒー農家でもこの作業は地道に行われています。

 

また、肥料や農薬も行政の指導のもとで使われており、品質の良いコーヒー作りに日々励んでおります。

 

しかしながら一方ではこの作業を行わないコーヒー農家もまれにあります。例えばコピルアックの生豆が栽培されているMuria山のKeletです。Patiに近い地区とは異なりこの辺りのコーヒー農家は本業が米作で、コーヒー作りは片手間で行われています。コーヒー自体の品質はもちろんコーヒー栽培を本業で行っている地域と比べると残念ながら落ちてしまいますが、他の地域では絶対にまねのできない特徴が一つあります。

 

それは「原点」です。

 

おそらくKeletでコーヒーが植わっている現場をご覧になれば皆さん驚かれるでしょう。と申しますのも一般的に想像されるコーヒー農園とは全く違うものだからであります。簡単に行ってしまうと雑木林の中にコーヒーの木があるという状態です。もちろんアラビカなどは直射日光に弱い為日よけの木がそばに植わっていますが、まさに広大な雑木林の中にコーヒーの木があるという表現がふさわしいかと思います。

 

つまりコーヒーの木をまったく管理をしていない状態ということになります。しかもそれが数百年続いているわけです。いわゆるコーヒー農園のように一か所にたくさんのコーヒーの木が植わっているわけではなく、雑木林に点々とコーヒーの木が存在しているのです。

 

そのため一本一本の木に農薬をまき、肥料を与えるというのはほぼ無理で、とにかくそのまま放置。収穫期が来れば農作業の片手間にコーヒーの赤い実を木からとり、もしくはブローカーにその権限を与え、毎度おなじみの仲買人に販売するのです。

 

さて、本題の味の問題です。Keletのすぐそばにある地域の豆が全く異なる味であるにもかかわらず、北海道と沖縄ほども離れたKeletとスマトラ島のLampung(ランプン)の豆がなぜ同じ味だったのか?

 

もうお分かりかと思いますが、長くなりましたので次回へ譲りたいと思います。

 

 

 

この写真の木、日本ではお目にかかることが出来ない木です。胡椒の木なのであります。雑木林の中にはコーヒーの木に混ざって胡椒の木もあります。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki