コピルアックブロク画像

インドネシアの田舎のビジネス2

2014.4.15

私の好きな映画のひとつで「Wall Street」という映画があります。1980年代半ばの映画だと思いますが、オリバーストン監督の作品で、主人公の若い証券会社の営業マン、チャーリーシーン演じるバド・フォックスが金融の世界で成り上がって行きます。

 

彼が師と仰ぐビジネスパートナーのゲッコー・ゴードンは全米でも名うての投資家です。彼はある製紙会社を敵対的に買収するための株主総会でこういった話をします。「欲は正しい。欲は物事を明確にし、判断を確実なものにする。欲はわれわれを正しい方向へ導く」。

 

利益を上げない製紙会社の経営陣の退陣を迫り、自分が経営を行うにあたって株主を説得するための演説だったのですが、この映画で出てくるいくつかの名言の中でもしばしば現実のビジネスでこの言葉がぴたりと当てはまる事態に出くわすことがたまにあります。

 

例えば最近、Muria山のふもとで起こっているコピルアクにまつわる騒動です。

 

コピルアクはご存知の通り高価なコーヒーです。ジャコウネコの飼育にも精製にもそれなりの手間がかかっており、やはりこのくらいの価格にはなってしまいます。ジャコウネコの飼育やフンを洗う工程というのは都会では土地の広さの問題や、実際にコーヒーをジャコウネコに与えなければならないため、コーヒーチェリーが収穫される地域の至近で行われるのが一般的です。

 

ところで以前こちらの章でお話したことがありますが、通常ジャコウネコを飼育している業者というのはコミュニティー単位で動いております。一般的には一人の親玉がいて、彼自身ジャコウネコを飼っているのですが、沢山のジャコウネコを飼育することは受注が少ない場合、飼育費用、餌代などの費用負担が大きいため近隣の住民でこのビジネスをしたい人を募り、彼に飼育を依頼するわけです。

 

そして受注があった場合には近隣の人々からジャコウネコのフンつき豆を買い取り、販売をします。

 

もし親玉が多くのジャコウネコを飼育していれば、買取量は少なくて済み彼の利益率も高いことになりますが、飼育費用の負担は大きくなってしまいます。

 

さて、この親玉が自分の利益を最大限にしようと思えばどのような戦略を立てるのが良いのでしょうか?答えは非常に簡単です。

 

それは出来るだけ多くのジャコウネコを飼育し、極力コミュニティーからジャコウネコのフンつき豆を購入しないことです。しかも餌(コーヒーチェリーの費用も含め)をただで与え、コミュニティーから買い取った洗浄前のコピルアク豆があってもその代金を支払わないことです。

 

皆さんはおそらくこう思われるでしょう「それって詐欺じゃない!?」と。

 

餌の一部は自生してるバナナやパパヤを与えるため、それほど負担にはなりませんがコーヒーチェリーはコーヒー農家から買い取り、そのほか餌となる魚などは市場で仕入れます。これらの費用を支払わず、なおかつコミュニティーのメンバーから買い取った豆の代金を払わなければ明らかに詐欺になります。

 

そんなこと許されるはずは無いと思われるでしょう。もちろん許されるわけは無いのですが、これを行うのにうってつけの方法がひとつあります。それは宗教です。

 

実は最近までコミュニティーのリーダーだった人はイスラム教徒の中では高位に属する人で、メンバーを始め、村人の尊敬を集めておりました。高位に属する人とは例えばキリスト教徒で言えば神父というのが一番近いと思います。近隣のイスラム教徒に説法をし、師としてあがめられるわけです。

 

普通の常識ではビジネスと宗教は関係ありません。いくら神父クラスの人であったとしても支払いを拒否するのは明らかにビジネスとしてはあるまじき行為です。ところがこの状況はインドネシアの田舎では少し違ってまいります。

 

さて、少しだけ話は飛びますが、今私は夕方の美しいアザンの音色を聞きながらこのブログを書いております。このアザンというのはイスラム教徒が人々にお祈りの時間を告げるアナウンスではありますが、歌のような不思議な旋律があり、異教徒である私でさえこのアザンはすばらしいと感じます。

 

また、ご存知の通りイスラム教徒は独特の戒律があり、普段の生活でも絶対に宗教は切り離すことは出来ません。

 

さて、インドネシアではこのように人々の生活に根ざしているイスラム教、特に田舎に住む人が戒律に厳しいというわけではありませんが、閉じられた世界では神父の持つ発言力というのは都会のそれよりも大きいのは確かです。

 

田舎の人付き合いというのはこちらでも濃厚で、近隣の家族の健康状態ですらも状況も手にとるようにわかります。こんな状況下で信者に大きな影響力を持つ神父が「ちょっとだけコピルアク豆の支払いを遅らせてもらえないか?」といわれたら・・・・・。

 

おそらく誰だって「かまわないですよ」というでしょう。ましてや、ジャワの人々というのは温和な人が多く、争いをあまり好みません。そのため支払いの問題を先送りにしても「まあ後で払ってくれるでしょう」という楽観的な心理が働いてしまい、しばらくはこの問題がうやむやになってしまいます。

 

ところがこの神父が「欲は善」というビジョンで動いているとしたら?? ただ単に彼がコミュニティーのメンバーに支払いをしないのが、彼の目的が彼の利益を最大化することであり、それにメンバーが気づいてしまったら??

 

話は次回へ続きます。意外と危ないインドネシアの田舎のビジネス。コミュニティーのリーダーはゴードンゲッコーだったのでしょうか・・・。

 

 

 

どろどろとした欲とは対照的なMuria山の川の清流です。

 

Sampai Jumpa Lagi,

Koki